うつ病から海外に飛び出せるかな

うつ病から海外生活できるのか、踏ん張りブログです。

北海道胆振東部地震 ~電気復旧~

北海道胆振東部地震で体験したこと ~地震直後~ - うつ病から海外に飛び出せるかな

 

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地震が起きて2日目。

 

スマートフォンの充電がなくなりました。

元々格安スマホのせいか、ネットにつながりませんでしたが、僅かな希望をもってそばに置いていた相方でした。

全く使えない。これからいつ使えるかわからない。外部、親しい友人とも連絡が取れない。父とは音信不通。職場の状況もわからず。地震で札幌はどうなっているのか?震源地は?電気復旧は?余震はいつまで?食料がなくなったらどこに行けばいいの?

 

スマホの電源がなくなったことが、この地震で一番不安になったことでした。

 

そして母にいよいよ出勤命令がでました。

交通機関がストップして、車もない母は地震直後に出勤命令はでませんでしたが、自転車で来てくれとのこと。

母は病院勤めの為、電気がなくてもなんとかして患者さんに付き添わなければいけません。

ちなみに職場の病院は電気が復旧していたようです。

 

母は私の犬の心配をしていて、あまり出勤したくない様子でした。

さくら的にはやはり困っている人を最優先に助けてほしかったので、どんなに自分が不安でも出勤してほしかった。

元気なふりをして

「犬は任せろ~自転車こいでダイエットしておいで~」とか冗談交じりで言ってる中

「(本当に行っちゃうの?この後地震きて私たち潰れちゃったらどうするの?)」と本心は思っていました。葛藤。

 

出勤後、ただただ犬のそばにいて精神を落ち着かせていました。面倒を見る立場なのになんだかんだ私を助けてくれたのは犬でした。老犬の為具合も悪く、ごはんも戻す状態で外も出れず、家の中でぼーっと外を眺めていました。

 

こういう時こそ英語の勉強!本を読もう!とも浮かびましたが、全然文字が頭に入りませんでした。うつ病発生したときに似ていました。脳が動いていませんでした。

文字を読むことはできませんでしたが、ひたすら自分の思いを紙に書き殴っていました。

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今読むと、地震が起きてたった2日しかたってないのにメンタルやられすぎだろ!と思います。自分の精神はいつどうなるかわからない。ねえ。

 

夕方4時頃

段々日が暮れ始めました。ベランダから見えるスーパーに電気が点きました。なんと!希望の光が!電気が近くに来ている!

 

夕方5時30分

がちゃりと玄関が開きました。誰!!!???父でした。生きてたのか~~~~い!

と声をかける前に「電池買いに行くぞ!」と言われ急いで準備。感動の再開は無し。それが頼もしいけど。。。犬のぼっちにさせたくなかったので、具合悪い中申し訳ないが、犬も車に連れ込み父と電池探しの旅に出かけました。

車で私のスマホがやっと充電できました。物凄いメッセージが来ていました。職場、前の職場、友人、そして母。「生きてる?」と何度もメッセージが来ていました。だから充電切れてるんだってば。

 

信号が点いていない、他の車の運転が荒い中、母の職場に向かいました。

ここで家族全員揃いました。安否確認OKです。

 

何故母が安否確認メッセージを何度も私に送っていたかというと、家の電話に何度も電話をかけていたみたいです。電気復旧してないんだってば!どっちも繋がらんわ!

 

安否確認ができたのであれば次にすることは、生きていくことです。

 

車で周辺をぐるぐる回っていてもスーパーやコンビニの電気が点いていなかったり、商品が全く空の店舗ばかりでした。今更電池なんて買えるわけがなかった。

 

ただ近くのパチンコ屋は営業していました。これには、本当に疑問しかなかった。バンバンに光を放つパチンコ屋と対照的に信号もついていない地区。この差はなんなんだろうか。

そこで4時頃に電気が点いていた近所のスーパーに行くことを提案すると、なんと、開いていました。地震発生直後に水とパンを500円販売していた行列の場所です。

 

 

 

急いで電池コーナーに行くと、残り1個でした。あ~良かった~と思い、最後の1個を手に取ると、後ろに小学校低学年くらいの男の子を連れた家族が私を見つめていました。

譲れませんでした。

あんなに、私子どもが好き。って言っていたのに心は自分の家庭のことしか考えていなかった。凄く心臓が壊れそうだった。暫く動けなかったのは私だ。

生きるために必要なんだから仕方ないじゃんと言っている私と

自分よりも人生を全うしていない子どもに電池さえも譲れない最低な奴だなと言っている私で頭がぐるぐる回り始めました。

その家族が諦めて他に行ったとき。やっと私は冷静になれた。しっかり、防災対策をしよう。と決めました。本当にごめんなさい。

 

このスーパーでの一件がブログを書くきっかけになりました。

 

 

その他食料はまだありました。きっと開店して数時間しかたっていないおかげなのでしょう。即席系、カップ麺やパン、湯煎で作れるものは売り切れ。あとは要冷蔵冷凍品は勿論幕が下りている状態でした。

買いだめをしない、と心に刻み、犬のやわらか~い餌、缶詰、ホットケーキミックスとチョコレートを、後は人気がなさそうなホイップクリームを買いました。

 

家に戻ると、電気復旧していました。この日に全てが戻ってきたのです。

帰ってさっそくスマホの充電を満タンにし、メッセージをみんなに返していました。

他人とコミュニケーションをとることがどんなに大事か、どんなに自分の心を救ってくれるか、身をもって教えてくれた災害でした。

帰りに見えたパチンコ屋に嫌悪感がふしふしと湧いてきました。その日も早く寝ました。節電のためにね。

 

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