うつ病から海外に飛び出せるかな

うつ病から海外生活できるのか、踏ん張りブログです。

北海道胆振東部地震で体験したこと ~地震直後~

お久しぶりです。あの北海道地震から、状況が回復傾向になり、時間ができたので皆さんに知ってほしい事を記していこうと思います。

 

 

ご存知の方もいらっしゃいますが、私は7月、8月とリゾートバイトで北海道を離れていました。

9月3日に実家北海道札幌に帰り、4日台風の災害を受け、5日に大災害北海道地震が起こりました。

戻って、ここで暮らすための片づけや、リゾートバイトで使い切った、持って帰れなかった物を買いに暮らしを元に戻そうと思っている矢先でした。

 

 

深夜3時頃、大きな音で目が覚めました。完全に寝ぼけている状態で何が何だかわかりませんでした。

反射的に座る姿勢になり、長時間揺れている感覚。起き上がって1分2分程して気づきました。地震かと。

頭が覚醒した後も続きます。ずっと揺れていて、混乱して動けませんでした。

夜なので辺りはほとんど見えず、バタバタゴトゴト何かが落ちる音を聞くことしかできませんでした。

 

犬は大丈夫か、母は起きているのか、父は…出張中だ。とゆっくり考えているうちに地震が小さくなって行きました。

「大丈夫か!」と母が犬を抱っこして部屋に入ってきました。

「入っちゃダメ!色んな物落ちてるから危ないよ!とりあえず居間集合で」

ん?電気が点かない。停電だ…

ここらへんでやっと目が暗闇に慣れてきて段々と見えるようになりました。

箪笥が倒れ、パソコンが落ち、先月かった岐阜、名古屋土産もぜーんぶ落ちていました。確認は後回し、居間に集合しました。

 

何があったのか、テレビで確認しようという流れができません。だって停電しているんですから。外を見ると真っ暗、街頭も何もついてない。大都会札幌初めて見る光景でした。星が綺麗。

私はマンションの10階に住んでいたので、中々揺れが激しかったです。

 

スマホ、すぐにTwitterで状況確認。地震直後は地震があった!という出来事しかわかりません。何をしたらいいのか、わかりませんでした。とりあえず、懐中電灯を探そうとなり、スマホの明かりを頼りに懐中電灯を探し出しました。

でも電池が少ない。いつまで持つんだろう。まあいいかすぐに電気点くだろう。

 

そして私たちはもう一度寝ました。寝れませんでした。

正直地震は怖くありませんでした。なのに、余震が続くのです。こんなの初めてでした。一回だけだろうと思っていたら大きい余震が何度も続く続く。寝れませんでした。

 

朝になり、太陽光でやっと部屋が見えました。置物のガラスが飛び散っていました。

びっくり、良く踏まなかったな。スリッパって偉大です。

 

電気、点きません。どういうことだ…だってもう7時…

外を見ると、大きい交差点、車がまばらに動き歩行者が車を見計らって走って道路を渡っていました。

電気が点かない=信号も止まるというのか…こんな交通量が多いところで信号がなかったら絶対事故になる…

ん?エレベーター動くわけなくない?あの距離上り下りするの?無理!

外は危険。よし、外に出るのはよそう。(引きこもり志向)

 

また状況確認のため、スマホでネットにつなごうとしたら、繋がらない。

私たちのスマホは格安スマホです、そのため回線が他の3キャリアに比べて優先順位が低い。というのを聞いたことがありました。嗚呼そういうことか…朝になっても結局何もわからずじまいでした。

 

水、ガスの確認。付きました!ただ電気が未だに付かないことに不安が募り、できること(ない知識振り絞り)をやりました。

・お風呂に水をためる

・懐中電灯、乾電池捜索

・TVなど落ちたら危ないものを床に置く

・踏んだら危ないものの片づけ

 

食料は…実家なのに殆どない…

冷蔵庫を確認しても虚しいひや風が流れるだけでした。あるのは白滝と賞味期限が切れそうな卵のみ。この食材だけで今日すら過ごせるとは思いませんでした。

元々、水は確保する家庭だったので飲み物は大丈夫でしたが、あまりにも食べ物がないことに驚き。

私がここにいない間、父母は何を食べて生活をしていたか疑問を持ちました。

しょうがない、スーパーが開く時間、10時になったら家を降りて買い物に行こう。ということになりました。

 

 

次は災害後のスーパーと非常時の人間の行動です。

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