うつ病から海外に飛び出せるかな

うつ病から海外生活できるのか、踏ん張りブログです。

うつ病だけどリゾートバイトに行ってみた。2か月目と外国人比率#8

うつ病だけどリゾートバイトに行ってみた。リゾバの特権と病気の辛い#7 - うつ病から海外に飛び出せるかな

 

私のリゾートバイト期間は2か月契約です。

既に1か月が経ち、折り返し地点に到達していました。

 

 

ひいひい業務をしていたものも段々と慣れていきまして、

遅めの”戦力”になれたかと感じたときでした。(実際ホテルは即戦力を求めていたんですけどね)

あんなに怖かった外国人のお客様対応も慣れていき、フロントの中で3番目に英語ができるポジションについていました。ただし、2番目と3番目には大きな壁がありますけどね!

 

特に電話口での海外のお客様対応には苦戦しました。

言語のみのコミュニケーションの難しさにかなりの壁を感じた。非言語コミュニケーションのボディーランゲージはかなり会話で役に立っているんだなあとひしひしと感じました。

 

 

慣れていくにつれイレギュラーな対応を任されることも多くなりました。

一応英語ができるポジションについていたので、外国人のお客様への面と向かった対応が増えていき、リスニング、スピーキング能力の鍛えになりました。そして、文化の違いに触れられたこと。これらはとても貴重な体験でした。

「スペイン人の夜ご飯の時間は遅いんだ。大体8時なんだよ~」

こういうちょっとしたブレイクもが私の英語意欲を掻き立てます。なるほどそうなんだ~!

 

 

英語話者たちの出身は

4割が、アジア圏(中国、台湾等 韓国は少なかった)

同じような割合で3、4割はスペイン人

1、2割ネイティブ英語話者(アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ等)

残りの1割程度がスペイン以外のヨーロッパ系でした。

 

何故岐阜県にスペイン人が多いのかはわかりませんが、ホットな観光名所になっていたのでしょう。他の県でこんなにスペイン人の割合が多い県は耳にしたことがありません。

 

 

そして来ました一年の一番の繁忙期”お盆”です。

8月は全室満室スタートでした。夏休みの入った家族連れのお客様が増えていき、料金も高くなっていきました。

勿論その分クレームもたくさん来ます。通常の対応+クレーム対応と仕事は手が回らない状態がずっと続きました。長蛇のお客様の列。

イライラしてくるお客様、列を脱するお客様。かなりシビアな状況で笑顔を取り作り、失礼な対応がないよう、ポライトに長時間接するというのは本当に大変でした。

 

「館内の説明をさせて頂きます~(あれ?私今何してんだっけ?仕事やってるんだっけ?言葉発してる?大丈夫かな?)」

思考と言葉が完全に分かれていました。心ここにあらず。

 

残業もたまり、疲れがとれない。休みの日なんて寝るだけだよ~。

となるかなと思いましたが、意外と精神が丈夫な時期でありました。

「せっかくの休みだ!1日の休みでも県外色々旅行しちゃえ!!!!」こんな気持ちになっていました。笑

 

 

 

 

私にとって鬱というのは不思議なものです。

どんなに忙しくても体が疲れていなく、むしろどこか遊びに行きたい!という気持ちもあれば、

閑散期で仕事量が少ない時期でも、精神的に疲れれば外に一歩も出れないほど謎の疲れに襲われます。

 

鬱と向き合うには、自分がどんなことにストレスを感じるか、もっと見つめ直して、傾向と対策を練る必要がありますね。

うつ病だけどリゾートバイトに行ってみた。リゾバの特権と病気の辛い#7

うつ病だけどリゾートバイトに行ってみた。3週間の振り返り#6 - うつ病から海外に飛び出せるかな

 

ついに4週間

一か月が終わりました。残り一か月。折り返しまで来てしまいました。

 

この時点でやっと独り立ちをしましたが、やはり、イレギュラー対応など英語対応などが入ってくると、まだまだ一人ではできないことが多かったです。

ですが、これからが本番…サービス業稼ぎ時のお盆が来るのです。

この時までにはなんとかしてでも一人で誰にでも対応できるよう。わからないことは、シスター(怖い)以外に聞いていました。

 

このころから仕事に慣れてきて、僅かな休みの日を体力回復のために寝るだけ生活に終止符。

残りの一か月はせっかくのリゾートバイト、休みの日は羽を伸ばし遊ぼう!と心に決めていました。

 

 

そしてうつ病、ADHD患者のここが辛い。

処方薬が切れる頃になりました。

 

予め、元のメンタルクリニックで岐阜県のメンタルクリニックへ紹介状を書いてもらい、一か月分の薬だけ貰う旨を双方に了承を頂いていました。

そこまではOKだったのですが、仕事の休みが取れないことに悩んでおりました。

 

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ここにも書いたのですが、

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こんなことを言われた矢先、病院の予約と言えど、休日希望を出せませんでした。

もし「病院に行くから休みをくれ」といっても「どこの病院に行くの?」と聞かれるのが怖くて取れませんでした。

私はまだ隠したかった。みんなと違う、だから仕事ができない。

自分で認めてはいましたが、他人が認めてくれるとは思いませんでした。

私の母でさえ認めてくれなかったのですから、やはり外部には言うべきではないと思っています。肩身が狭い。

 

運がよかった。シフトが午後出勤のものばかりになりました。ダメ元で取った病院の予約の日、急いで起きて、急いでタクシーで往復し、なんとか間に合いました。

 

自立支援の恩恵がない状態のストラテラやレクサプロ。薬価代がすごい。

処方薬局から「今回のお会計…1万7千円になりますけど大丈夫ですか?」

('ω')「ダイジョウブジャナイ」ストラテラ、ものすごく高い。

薬価代が高いものは薬を我慢し、なくてはならない相棒、眠剤だけは死守しました。

 

ストラテラについては後発薬が出るという噂がありますが、是非出てほしいですね。

うつ病だけどリゾートバイトに行ってみた。3週間の振り返り#6

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3週間目

びっくりです。敵は一人ではないのです。今まで仲間だと思っていた人の裏切りまでもがあるのです。

 

交通の便が回復していきました。それと共にお客様も戻っていらっしゃいました。

ようやく、私もチェックイン作業を教えてもらうことになりました。

パソコン操作、お客様との会話ADHDの私にとって、これらのマルチタスクをこなすかなり厳しいものでした。

薬も使っていましたが、効果はあまりわからず。

 

この処理をすることで、パソコンの中ではどんなことが起こっているのか?そんなこと考えてる暇もなくお客様対応、マネージャー対応。

やはり、感じました。普通の人より覚えるのが遅い。理解ができない。

チェックイン処理はとても不安のわだかまりが残りながらの戦いでした。

 

ですので、シスターに私の行ったチェックイン処理が正しいかチェックしていただきました。シスターの不機嫌に触れてしまいました。明らかに私への対応が冷たいものになりました。

マネージャーの時よりも怖い、同年代の子に冷たくされるのは、本当に辛い。

でも冷たく当たられていたのは私だけではありませんでした。外国人のMさんも冷たく当たられていました。

微妙な仲間意識。でもMさんのおかげで乗り越えられた3週目でした。

 

北海道胆振東部地震 ~電気復旧~

北海道胆振東部地震で体験したこと ~地震直後~ - うつ病から海外に飛び出せるかな

 

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地震が起きて2日目。

 

スマートフォンの充電がなくなりました。

元々格安スマホのせいか、ネットにつながりませんでしたが、僅かな希望をもってそばに置いていた相方でした。

全く使えない。これからいつ使えるかわからない。外部、親しい友人とも連絡が取れない。父とは音信不通。職場の状況もわからず。地震で札幌はどうなっているのか?震源地は?電気復旧は?余震はいつまで?食料がなくなったらどこに行けばいいの?

 

スマホの電源がなくなったことが、この地震で一番不安になったことでした。

 

そして母にいよいよ出勤命令がでました。

交通機関がストップして、車もない母は地震直後に出勤命令はでませんでしたが、自転車で来てくれとのこと。

母は病院勤めの為、電気がなくてもなんとかして患者さんに付き添わなければいけません。

ちなみに職場の病院は電気が復旧していたようです。

 

母は私の犬の心配をしていて、あまり出勤したくない様子でした。

さくら的にはやはり困っている人を最優先に助けてほしかったので、どんなに自分が不安でも出勤してほしかった。

元気なふりをして

「犬は任せろ~自転車こいでダイエットしておいで~」とか冗談交じりで言ってる中

「(本当に行っちゃうの?この後地震きて私たち潰れちゃったらどうするの?)」と本心は思っていました。葛藤。

 

出勤後、ただただ犬のそばにいて精神を落ち着かせていました。面倒を見る立場なのになんだかんだ私を助けてくれたのは犬でした。老犬の為具合も悪く、ごはんも戻す状態で外も出れず、家の中でぼーっと外を眺めていました。

 

こういう時こそ英語の勉強!本を読もう!とも浮かびましたが、全然文字が頭に入りませんでした。うつ病発生したときに似ていました。脳が動いていませんでした。

文字を読むことはできませんでしたが、ひたすら自分の思いを紙に書き殴っていました。

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今読むと、地震が起きてたった2日しかたってないのにメンタルやられすぎだろ!と思います。自分の精神はいつどうなるかわからない。ねえ。

 

夕方4時頃

段々日が暮れ始めました。ベランダから見えるスーパーに電気が点きました。なんと!希望の光が!電気が近くに来ている!

 

夕方5時30分

がちゃりと玄関が開きました。誰!!!???父でした。生きてたのか~~~~い!

と声をかける前に「電池買いに行くぞ!」と言われ急いで準備。感動の再開は無し。それが頼もしいけど。。。犬のぼっちにさせたくなかったので、具合悪い中申し訳ないが、犬も車に連れ込み父と電池探しの旅に出かけました。

車で私のスマホがやっと充電できました。物凄いメッセージが来ていました。職場、前の職場、友人、そして母。「生きてる?」と何度もメッセージが来ていました。だから充電切れてるんだってば。

 

信号が点いていない、他の車の運転が荒い中、母の職場に向かいました。

ここで家族全員揃いました。安否確認OKです。

 

何故母が安否確認メッセージを何度も私に送っていたかというと、家の電話に何度も電話をかけていたみたいです。電気復旧してないんだってば!どっちも繋がらんわ!

 

安否確認ができたのであれば次にすることは、生きていくことです。

 

車で周辺をぐるぐる回っていてもスーパーやコンビニの電気が点いていなかったり、商品が全く空の店舗ばかりでした。今更電池なんて買えるわけがなかった。

 

ただ近くのパチンコ屋は営業していました。これには、本当に疑問しかなかった。バンバンに光を放つパチンコ屋と対照的に信号もついていない地区。この差はなんなんだろうか。

そこで4時頃に電気が点いていた近所のスーパーに行くことを提案すると、なんと、開いていました。地震発生直後に水とパンを500円販売していた行列の場所です。

 

 

 

急いで電池コーナーに行くと、残り1個でした。あ~良かった~と思い、最後の1個を手に取ると、後ろに小学校低学年くらいの男の子を連れた家族が私を見つめていました。

譲れませんでした。

あんなに、私子どもが好き。って言っていたのに心は自分の家庭のことしか考えていなかった。凄く心臓が壊れそうだった。暫く動けなかったのは私だ。

生きるために必要なんだから仕方ないじゃんと言っている私と

自分よりも人生を全うしていない子どもに電池さえも譲れない最低な奴だなと言っている私で頭がぐるぐる回り始めました。

その家族が諦めて他に行ったとき。やっと私は冷静になれた。しっかり、防災対策をしよう。と決めました。本当にごめんなさい。

 

このスーパーでの一件がブログを書くきっかけになりました。

 

 

その他食料はまだありました。きっと開店して数時間しかたっていないおかげなのでしょう。即席系、カップ麺やパン、湯煎で作れるものは売り切れ。あとは要冷蔵冷凍品は勿論幕が下りている状態でした。

買いだめをしない、と心に刻み、犬のやわらか~い餌、缶詰、ホットケーキミックスとチョコレートを、後は人気がなさそうなホイップクリームを買いました。

 

家に戻ると、電気復旧していました。この日に全てが戻ってきたのです。

帰ってさっそくスマホの充電を満タンにし、メッセージをみんなに返していました。

他人とコミュニケーションをとることがどんなに大事か、どんなに自分の心を救ってくれるか、身をもって教えてくれた災害でした。

帰りに見えたパチンコ屋に嫌悪感がふしふしと湧いてきました。その日も早く寝ました。節電のためにね。

 

北海道胆振東部地震 ~災害直後の街~

北海道胆振東部地震で体験したこと。地震直後編 - うつ病から海外に飛び出せるかな

続きです。

 

我が家の地震の被害状況

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物が落ちたくらい、箪笥は倒れとにかく床がひどい有様でした。壁が破損したりはありませんでした。家族も幸いけが人はおらず、大事には至りませんでした。全然マシなほうです。(ちなみにさくらのデスクトップパソコンはお亡くなりになりました。誰かいい修理先教えてください)

 

10時前、母と買い物に行くことになりました。

勿論犬は連れていけないのでお留守番。一匹ぽっちにさせるのは不安でしたが、早く行って早く帰ろう!と小走りでスーパーへ向かいました。

勿論エレベーターは動いていないので上り下り大変でした泣

 

階段を下りている際に他の階の住民に会い、少しお話をしました。

「もうどこにもカップ麺等即席で作れるものはない。食料も殆どなかったよ。」

との情報。まだ地震発生して6、7時間くらいだよ?まさか~と思いスーパーに向かったところ。食料がないどころか店舗が開いてすらいませんでした。

「停電のため足元が不安定になっているため閉めている」と朝からどこから出勤してきたのかスーパーのおばさんが言いまわっていました。

「その代わり、外でパンと水の販売を500円で始める」とのこと、現場へ向かうと…

 

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人人人人人人人人人人ひとひとひとひとひとひとトヒトヒトヒテョヒトヒテョ

開店前でこんなに並ぶか、たったパンと水だけのために。しかも500円なんて破格でこんなに並ぶのか?

一瞬で私ら親子は諦めました。並ぶ気0でした。

 

 

通り道にある某薬局が開いていたので向かいました。

勿論即席系はすでになし、

実は私、前日から生理になっていたのでナプキンが必要でした。食料が買えなくても何日か食べないのは平気だろう。お菓子はわずかに売ってるし。だけど生理用品はなんとかしたいな…との思いで生理用品を手に取り(これも在庫ぎりぎり!)並びました。それはもう凄い列。

その間に向かい側で青果店がOPENしたのが見えました、ここから母と別行動をとり、母はレジ待ち、私は青果店で食料を求めに行きました。

 

青果店は私たちの大好物果物が売っています。しかも回転が速いのかすぱすぱ買えました。ブドウ、バナナ、トマト、エリンギ、もう何を買えばいいのかわからなかったけど、ちょうど目に入ったそれらをレジに持っていきました。停電しているので薄暗い中大変ではありましたが、太陽の光に助けられました。

店員さんもバーコードが通せないので「ん~多分これは100円!これは大きいから200円くらいでいいでしょ」との声が聞こえた。この適当さが助かりました。おかげで回転が速く素早く買い物を終え、食料をゲットできました。

 

 

その後母のところに戻ろうとしたら、「具合悪い助けて」との連絡。

慌てて薬局に戻ると先ほどより何倍もの人がぎゅうぎゅうになって列がどこなのかわからない状態でうろたえていました。

店内は蒸し暑く風が入っても人で風が塞がれて奥のほうはねっとり地獄でした。

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やっと母を見つけると脱水症状に近いものになっていました。飲み物だ…でも飲み物がない…

ダメもとで隣のセイコーマートに向かいました。

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写真の通り殆どありません。

かろうじてジュースがあったのでなんでもいいから水分と思いオレンジジュースを買いました。

そこで凄いぞセイコーマート

電気が切れても、予備のバーコード読み取り装置がありました。いつも通りのスピードの会計です。素晴らしい。素晴らしいぞセイコーマート。

セイコーマートを出た後、ちらっと他のコンビニが見えましたが、そこは入場制限がかかるほど混雑していました。

全てのコンビニがこの対応をしているわけではないんですね。

 

そして母にジュースを渡し、レジ並びは私とバトンタッチ、犬が心配なので、休みがてら一回家に戻ってもらいました。

そして2時間が経ちました。私たちの列…次レジかと思いきやまた、もう一周しろとのこと。さすがにこれは...

運よくいい列に並んだ人は会計が終わり、私たちのように運悪く間違った列に並んだ組はもう一周、これはおかしい。これの倍時間がかかるというなら4時間並び続けろと?クーラーもなく、人の熱気でどんどんふらふらしていきます。何人か体調不良を訴えていました。

でも店員さんもどうしたいいのかわからなくてしどろもどろ。よく会計を見ていたら「この商品の値段調べてきてー!」これを何度もやっていました。

そんな、こんな広い薬局で一つ一つの商品を一々値段確認するのは無理があるよ!1組早くて15分かかっていました。これにはさすがにあきれ顔..

 

私も熱中症などにはなりませんでしたがうつ病ですか?ドキドキバクバクが止まらなくて近くにいる人が怖くて密閉されていて謎の不安感に押しつぶされそうでした。

そんなとき勇気あるお客さんが店員さんにアドバイスをしていました。

やはりマネージャーも列がこんがらがっていることには気づいていなかったのです。他の客からの暴言異様に集まってくる客値段のわからない商品、上司に出勤しろと命令されてのでしょう。彼はいっぱいいっぱいになって固まってしまいました。

もう、彼は何も聞こえなくなってしまったんだろう...

 

諦めよう私たちがいるおかげでみんなに迷惑が掛かっている、お菓子買えなくても、生理用品なくても、なんとかなる、大丈夫だ。だって果物入手したんだから。3時間並んだのは勿体ないけど、諦めよう。となって買わずに出ていきました。

 

電気のない夜に近づいてきました。

家の中ありったけの光るものを探し、ひもじい光で夜を過ごすことになりました。

一日くらいで復旧すると思いきや全然復旧しなかったのです。夜になっても。

さすがに不安になってきました。

 

ネットもたまにしか繋がらず、一部復旧の文字は見えましたが、ここではない…

夜、今夜も星が綺麗です。でも向こう側。

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電気のついている箇所があります。凄い遠い場所なんだろうけど光が見えました。

この付近はまったくついていませんでした。

 

信号のついていない夜道は本当に危険

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なんどもキキキキキキキキって音が聞こえてました。

 

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 信号がない中車がこないのを見計らってダッシュしている通行人です。

何度もこの光景をみました。見るたびにひやひやします。

 

 

ここで私の不安が最高潮になります。

誰とも連絡が取れない、自分がどんな状況に置かれているのかわからない。不安で不安で精神ボロボロになりました。

明日の朝には電気が戻っていることを願い。いつもより早く眠る体制になり寝る前の薬を早めに多めに飲んで意識を飛ばしました。

 

北海道胆振東部地震で体験したこと ~地震直後~

お久しぶりです。あの北海道地震から、状況が回復傾向になり、時間ができたので皆さんに知ってほしい事を記していこうと思います。

 

 

ご存知の方もいらっしゃいますが、私は7月、8月とリゾートバイトで北海道を離れていました。

9月3日に実家北海道札幌に帰り、4日台風の災害を受け、5日に大災害北海道地震が起こりました。

戻って、ここで暮らすための片づけや、リゾートバイトで使い切った、持って帰れなかった物を買いに暮らしを元に戻そうと思っている矢先でした。

 

 

深夜3時頃、大きな音で目が覚めました。完全に寝ぼけている状態で何が何だかわかりませんでした。

反射的に座る姿勢になり、長時間揺れている感覚。起き上がって1分2分程して気づきました。地震かと。

頭が覚醒した後も続きます。ずっと揺れていて、混乱して動けませんでした。

夜なので辺りはほとんど見えず、バタバタゴトゴト何かが落ちる音を聞くことしかできませんでした。

 

犬は大丈夫か、母は起きているのか、父は…出張中だ。とゆっくり考えているうちに地震が小さくなって行きました。

「大丈夫か!」と母が犬を抱っこして部屋に入ってきました。

「入っちゃダメ!色んな物落ちてるから危ないよ!とりあえず居間集合で」

ん?電気が点かない。停電だ…

ここらへんでやっと目が暗闇に慣れてきて段々と見えるようになりました。

箪笥が倒れ、パソコンが落ち、先月かった岐阜、名古屋土産もぜーんぶ落ちていました。確認は後回し、居間に集合しました。

 

何があったのか、テレビで確認しようという流れができません。だって停電しているんですから。外を見ると真っ暗、街頭も何もついてない。大都会札幌初めて見る光景でした。星が綺麗。

私はマンションの10階に住んでいたので、中々揺れが激しかったです。

 

スマホ、すぐにTwitterで状況確認。地震直後は地震があった!という出来事しかわかりません。何をしたらいいのか、わかりませんでした。とりあえず、懐中電灯を探そうとなり、スマホの明かりを頼りに懐中電灯を探し出しました。

でも電池が少ない。いつまで持つんだろう。まあいいかすぐに電気点くだろう。

 

そして私たちはもう一度寝ました。寝れませんでした。

正直地震は怖くありませんでした。なのに、余震が続くのです。こんなの初めてでした。一回だけだろうと思っていたら大きい余震が何度も続く続く。寝れませんでした。

 

朝になり、太陽光でやっと部屋が見えました。置物のガラスが飛び散っていました。

びっくり、良く踏まなかったな。スリッパって偉大です。

 

電気、点きません。どういうことだ…だってもう7時…

外を見ると、大きい交差点、車がまばらに動き歩行者が車を見計らって走って道路を渡っていました。

電気が点かない=信号も止まるというのか…こんな交通量が多いところで信号がなかったら絶対事故になる…

ん?エレベーター動くわけなくない?あの距離上り下りするの?無理!

外は危険。よし、外に出るのはよそう。(引きこもり志向)

 

また状況確認のため、スマホでネットにつなごうとしたら、繋がらない。

私たちのスマホは格安スマホです、そのため回線が他の3キャリアに比べて優先順位が低い。というのを聞いたことがありました。嗚呼そういうことか…朝になっても結局何もわからずじまいでした。

 

水、ガスの確認。付きました!ただ電気が未だに付かないことに不安が募り、できること(ない知識振り絞り)をやりました。

・お風呂に水をためる

・懐中電灯、乾電池捜索

・TVなど落ちたら危ないものを床に置く

・踏んだら危ないものの片づけ

 

食料は…実家なのに殆どない…

冷蔵庫を確認しても虚しいひや風が流れるだけでした。あるのは白滝と賞味期限が切れそうな卵のみ。この食材だけで今日すら過ごせるとは思いませんでした。

元々、水は確保する家庭だったので飲み物は大丈夫でしたが、あまりにも食べ物がないことに驚き。

私がここにいない間、父母は何を食べて生活をしていたか疑問を持ちました。

しょうがない、スーパーが開く時間、10時になったら家を降りて買い物に行こう。ということになりました。

 

 

次は災害後のスーパーと非常時の人間の行動です。

うつ病だけどリゾートバイトに行ってみた。2週間の振り返り#5

2週間目

 

やっとマネージャー休みの日にフロント業務を少しか教えていただける状況になりました。

ですが、チェックイン作業ではなく、ホテル内にある売店のレジ打ちでした。

 

私はいつになったら独り立ちできるのだろうか。前の派遣さんは一か月で独り立ちしたというのに、私は2週間目にしてまだ本場のチェックイン作業をやっていない。

 

雑務ばっかり。雑務でもいいんです。私に与えられた仕事がそれだけであれば、

 

そんなわけがありません。チェックイン、チェックアウト業務もやらなければなりません。私としては早く教えてもらって、早くひとり立ちして即戦力になりたかった。というのも、これから来る繁忙期に対応できる戦力を身につけたかった。

これじゃ派遣というよりただのお手伝いさんだ

 

これには理由があった。2か月前に入った外国人スタッフの教育が遅く私に教える事が後回し後回しになっている状態でした。仕方ないけどさ、それで私が即戦力になれなくてもあーだこーだ言わないでいてよ。と思います。

 

私の出勤時間は13:00~22:00となっていますが、ほとんど定時で終わっていました。それどころか災害の影響で来れないお客様もたくさんいて暇なことから早上がりさせられるのです。(稼げないよ!)というかその時間に教えてほしいんだが。

 

どうにかして戦力にならなくては…時間が減らされる…でも仕事がない…

その悩みでした。

 

私の2週間目の仕事は館内掃除、荷物管理、ドリンク補充、英語対応、売店のみでした。

 

マネージャーの扱い方は慣れてきました。聞き流せるようなってきました。

高圧的に接する先輩たちを見て私もやってみようと思ったらビンゴ。

今までの私はビクビクしながら謝っていましたが、高圧的に接しながら謝ると、マネージャーもすぐ折れました。こんな簡単なことだったとは…マネージャーでイライラすることはなくなりました。

 

そして歓迎会+誕生日会という会を開いていただきました。

ありがたや。みなさん優しいよ~!!!緊張しすぎてお酒飲めなかった。そして喋れなかった。やはり飲み会の場は私にとってまだ難しいです。慣れていない。仕事上じゃない自分を曝け出すという行為が怖くてできません。

終始作り笑いでふんばりました。ですがその中で

フォローしてくれる別部署のおじさんが好きになりました。(変な意味じゃなくて)

優しい、周りを見てくれる人だなあとの第一印象。

 

事務の人とも少し距離が近づけだかな?と思います。人見知り少しだけ発揮しましたが、いい経験でした。トータルでいうとこの会は50点ですね。まあまあなね。

30点は別部署のおじさんに上げてもらった点数です。

 

ですが、新たな問題が3週間目で大きくなるのです。。。

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